天和年間(1681~1684)藩今により谷田日清が立野原の開田と幾世橋地区のかんがいのため4里18丁(17km)の山腹水路を構築した。山地測量のため夜間タイマツを利用したという伝え話しと共に建設の苦労が偲ばれた。
江筋添えは自然石で石垣を積み水を流し運びました。
立野江と平行に走る小高江の石積は自然石を隙間無く積み合わせました。
江筋に山の流れ水が入らないように石板で蓋をして土砂吐としました。
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