元治(1864~1868)の頃、二宮尊徳の高第であった富田高慶が二宮仕法によって高瀬川焼築地点に堰を構築し元治、慶応、明治(1864~1912)と続く長年月を費やして利水を計ったものであった。
高瀬川渓谷の山肌に洞門を …続きを読む